真野あずさ 舞台

姉・真野響子と姉妹役で共演. 眞野あずさは女優。大学在学中に「週刊朝日」の表紙モデルをつとめたことがきっかけで芸能界入り。1982年『風の鳴る国境』(tbs系)で女優としてデビューした。 姉は女優の真野響子。 2005年12月に、16年間結婚生活をともにした夫と離婚した。 最後に、眞野さんは、お姉さんの真野響子さんと舞台やテレビドラマでも姉妹役で共演されています。. 母・妙子さんは100歳になっても裏山に来て、竹の枝を切り刻んでいます。背中はさらに曲がりましたが元気です。息子のぼくは、また母のために竹を切り倒します。さて西宮の芸文センターで《真野響子・真野あずさ》姉妹の『完全姉妹』という舞台があったので、きのう見に行きました。 あずさ 東日本大震災の復興支援のため、二人で朗読劇の舞台に立つようになったのも3年前から。 響子 2年前には、初めての二人芝居もやったわね。 東宝 『忍ぶ糸』で映画スクリーンデビューを果たすと、その後も数々の作品に出演。1 1976年、 スコッチウイスキー 「カティサーク」の カレンダー 出演は、洋酒メーカーの女優起用第1号 。� ドラマ「弁護士・高林鮎子」は、火曜サスペンス劇場で放送されていたドラマです。1 1986年から2005年まで、34作までシリーズ化されました。 真野あずささんは主演の高林鮎子役で、補助者であり調査員の竹森慎平役は橋爪功さんが演じています。2 2013年、舞台「完全姉妹」で初の姉妹共演を果たすと、 「完全姉妹」より。眞野さん(左)と真野響子さん(右)。 響子 「介護は突然始まる」というけれど、まさにそうだったわね。13年前に父が亡くなってから、母は実家で弟とその娘と3人暮らし。80歳をすぎても家事のほとんどをこなし、リュックを背負って散歩するのが日課の、元気な人だったんだから。, あずさ 持病の検査で月に1度の通院につきそうのは、私たち姉妹の役目。それが5年前のある日、電話で話していると様子がおかしいので、私が診察の予定より早く病院に連れて行ったの。血圧が高く、画像検査で「脳梗塞を起こしている」と説明を受け、そのまま入院することになったのだけれど。, あずさ 脳梗塞の治療のため、点滴を受けたまま病室を出られず10日間。次第に母は意識がもうろうとしてきて、どこにいるかもわからなくなってしまい、薬が増やされる。, 響子 そのうち左半身がマヒしてきて、どんどん症状が重くなっていき、私たちも「おかしい」と思い始めたわ。, あずさ 10日目の夕方、医師に「緊急手術が必要だ。信頼できる病院を手配してあるので、すぐ決めてくれ。難しい手術になる」と言われて。手術を受け入れなければ退院せねばならず、きょうだい3人で相談した。手術はしないと決めて翌日、母を病院から一番近い私の自宅に連れて帰ることに。母は自力で歩くことも食べることもできなくなっていたわ。, 響子 あのとき連れて帰ると決断したからこそ、この5年間、母との思い出を重ねることができたわね。だけど、介護のイロハも知らないのに、無謀だったかしら、私たち。(笑), あずさ 布団から落ちてしまった母を、どうやって戻したらいいかもわからなかった。下手に動かして骨折させたらと、おろおろするばかり。, 響子 介護関係のパンフレットを見て、私が行政の相談窓口に電話をしたのよね。そうしたら親切に「シーツに乗せて、ずらすように戻せばいいですよ」と教えてくれた。介護にたずさわる人たちの温かさ、優秀さに触れて感激したのはそれが最初。, あずさ 翌日、地域のケアマネジャーを決め、介護ベッドや入浴サービスの手続きなどをしてもらった。それでも、母の食事作りやケアに明け暮れ、私の体重は1ヵ月で4キロ減。, あずさ わが家は2階が生活空間。1階にいる母が不安がって日に何十回もチャイムで呼ぶ。そのたびに下りていき、笑顔で応えるの。, あずさ 疲れて注意力が散漫になり、お鍋を何回も焦がしたし、通ってくれた弟も含め、3人とも車をぶつけてしまって。(笑), 響子 私はもともと粗忽者だけど、緻密なあなたがそんな失敗をするなんて、よっぽど疲労が溜まっているんだと思った。何より驚いたのは、姉の私に逆らったこと!(笑), 響子 でもあなたの機転に助けられたわ。久しぶりに外へ食事に出ようと提案して、母に話してくれたわね。母も「行ってらっしゃい」と送り出してくれて。正味45分くらいだったけれど、大好きなレストランで食事しながら二人で話をしたら、だいぶ楽になった。, あずさ 母がこちらを気遣ってくれるまでに意識が回復してきたことも、嬉しかったわね。, 響子 そういえばあの頃、母の隣で私が一人芝居の『夢十夜』の台本を読んでいたら、聞いていた母が泣いたり噴き出したり。ちゃんとわかって反応しているのだと感動したのよ。, あずさ 心身ともに過酷な毎日だったけれど、母は介助されて立つことも、自分で食事をとることもできるようになった。日々のささやかな回復が、大きな喜びだったわね。, 響子 退院から1ヵ月後にはあなたに2時間ドラマの撮影の予定が入っていて、母は弟たちのいる実家に戻ることになったのよね。, 響子 往復2時間、疲れた状態で車を運転したり、渋滞を避けてラッシュ時の電車を乗り継いだり。これもなかなかしんどかったけれど、母にとっては住み慣れた自宅だもの。弟が母の移動範囲に手すりをつけ、リハビリも進んだ。歩行器を使って長い時間、外を散歩できるまでになったわね。, あずさ でも、寝て楽をしていたかった母を起こしてリハビリを頑張らせたのは、酷だったかと思うの。, あずさ そのまま良くなってくれていたらね……。だけど、退院して1年後、ショートステイで泊まっていた施設でふたたび発作が起こって。母の努力が無駄になってしまったようで、申し訳なかった。, 響子 あなたは昔から生真面目に考えすぎるから。私としては、自分たちのできる範囲のことは、しっかりやってきたつもり。その後、いまもお世話になっている病院のリハビリ病棟から、介護型療養病床へ移って。この3年、往復4時間かけて毎日必ず誰かが母のもとへ顔を出しているのだもの。こんなにしつこい家族、うちくらいじゃない?(笑), あずさ 弟は週のうち2日。残りの5日を姉と私、それから母の3歳下の妹である叔母の3人でスケジュール調整して。, 響子 二人の舞台共演で誰も行けない日が数日続いたら、母の状態がとても悪くなってしまったのよね。弟が「こんなにも家族が来ることが大事だったのか」と驚いていたわ。, あずさ 病院に家族4人が交代で顔を出しているのも、母には毎日違った刺激になっていいのかもしれない。私たちの知らない昔話を母にしてくれる叔母にも感謝ね。, 響子 三本の矢ではないけれど、複数の矢があるから、私たち自身も強い状態でいられる。, あずさ 介護する家族は互いに思いやりを持って支え合わないと、共倒れになってしまう。そんな恐怖心みたいなものもあるわね。, あずさ 日替わりで行く4人の間のコミュニケーションは、主にメール。「今日のママの様子はこうだった」と送信すると、ほかの3人から返事が来るの。, 響子 返事が来ないと「忙しいのかな」と思う。母の状態が細かくわかるし、できなかったことの申し送りもできる。私と弟は用件だけの電報みたいな文面が多いけれど、あずさのメールは母の様子が手に取るようにわかるほど細かくて丁寧。82歳の叔母のは、ユーモアたっぷりで文学的だから読み応えがある。, あずさ 今年は桜がきれいな日に主治医の先生から散歩の許可を得て、母とお花見ができたのよね。それを写真つきで送ったら、「自分も見せてあげたいと思っていた」「連れて行ってあげてくれてありがとう」と返信をもらって、とても嬉しかったのよ。, 響子 いつも母が楽しみにしてくれているのが、私たちの朗読。若い頃から読書家だったから始めたの。, 響子 私が一番いいと思ったのは、母が昔、私たちに読んでくれた童話集。実家にある本を弟が持ってきてくれて。宮沢賢治の『よだかの星』、浜田廣介の『泣いた赤鬼』は、必ず母は最後に泣いてしまうのだけど、「また読んでね」と言われる。, あずさ 小川未明の『牛女』を読んだとき、母が「私と同じ」とつぶやいたのよね。可愛がって育てた息子のことを案じて、死んだ後も故郷の雪山の山腹に姿を見せる母親のお話。, 響子 それをメールに書いたら弟が「読んでみたいから本がどこにあるか教えて」と言ってきて。息子の立場で読むときつい話だから、読んだ弟は「すごくつらかった」と。だから、「母親というのは黙っていてもいつも子どものことを考えているもんよ」とメールしてあげたの。こんなに頻繁にやり取りをするのも、介護が始まってから。きょうだいの絆が深まったことを感じるわね。, あずさ 東日本大震災の復興支援のため、二人で朗読劇の舞台に立つようになったのも3年前から。, 響子 2年前には、初めての二人芝居もやったわね。親への感謝を示すのに、同じ仕事をしている私たちだからできることは何だろうと考え、温めてきた長年の夢だった。, あずさ 父に観せることは叶わなかったけれど、母は病院から外出許可をもらい、弟がつきそって介護タクシーで観に来ることができたの。, 響子 終演後に母を知る人たちが車椅子の周りに集まって、再会を喜んでくれた。「あら、主役は私たちなんですけど」と思ったくらい。(笑), あずさ 母は昔から優しくて独特のユーモアがある人気者だったもの。いまでも「今日来た私は誰?」と聞くと、わざと叔母や姉の名前を答え、反応を見て笑ってるのよ。, 響子 「誰と誰が結婚するらしいけど、どう思う」と聞くと、「やめたほうがいい」とピシャリ。これが、けっこう的確なんだから。(笑), あずさ そう、アドバイスをもらうこともあるわ。母と過ごす時間は私にとって、とても貴重。やはり、私たちは母に生きていてほしいのね。, 響子 私も母のそばにいるほうが精神状態がいい。入院した頃は、家に帰ってから、病院に母が一人でいることを思うとつらくて唸っていたもの。でも、私が苦しむのを母は喜ばないだろうと考えるようになってきたわ。, あずさ 私は倒れるまで突っ走ってしまうタイプだから、プロに任せて自分の時間を持つことも大切ね。, 響子 そう。介護をする人が、心身ともに元気でいることが一番。そうでないと、良い介護はできないもの。, あずさ いまの病院は、先生もスタッフも本当に良くしてくださって、いつも頭が下がる思いよ。「無理かな」と思う希望でも相談してみると、私たちの思いを汲んでやりくりしてくれる。, 響子 私は、介護の仕事は報酬でも待遇の面でもっと恵まれた職業になるべきだと思うの。ところが母の介護が始まってから5年、介護や看護の環境が厳しくなってきていることが、腹立たしくてならない。国の方針が何とかならないものかと思うわ。, あずさ 母の言葉で一番多いのは「ありがとう」と「ごめんね」。母の感謝の思いを感じるから、私たちは幸せね。穏やかで優しい気持ちになれる。抑制が利かず暴力や理不尽な言動が出てしまうケースもあると聞くわね。将来、私たち自身、どういう性格が出るか、怖いわ。(笑), 響子 怖い。幸(ひとり娘で女優の柴本幸さん)に私はどう見えるのか。私たちの世代は介護はプロに任せたいと思う人が多い。実際、子どもの数も少ないしね。娘には「将来、親のことで決断するとき、自分が決めたことは神様が決めたのだと思って、悩まないようにしなさい」と言ってあるの。それにしても、母になってみて母の偉大さがわかったわ。, あずさ 「毎日交代で病院に介護に行くなんて、よほどいいお母様だったのね」と言われる。もちろん過去にはぶつかったこともあるけれど、つらい思い出は消えているね。, 響子 私だっていろいろあったわよ。言いたいこともたくさんある。「ママ、どうしてもっと自分の体を大事にしなかったの」とか。父や弟が帰ってくるのを起きて待っていないで寝ていれば良かったのに……。だけど、昔のことはもう関係ない。, 佐久間一行、よしもと『SDGs-1グランプリ』優勝 審査委員長の西川きよしが高評価, 2019年4月に母を亡くした真野響子さん、眞野あずささん姉妹。それぞれ女優として活躍しながら、家族で毎日分担を決め、母の世話をしていたといいます。本日の『徹子の部屋』の総集編「家族の絆『きょうだい』編」に登場したお二人。通院から自宅介護と実家通いまで、過酷な日々もあったと笑顔で語りあった、5年前の対談を再配信します。(構成=山田真理 撮影=川上尚見), この記事内のリンクから商品を購入されるとマイクロソフトはアフィリエイト広告収入を得ることがあります, 新しいFacebookアプリで友達とのコミュニケーションを快適に楽しんで頂けます。. 眞野あずさ(マノアズサ)の舞台・公演情報をご紹介!舞台・公演のチケット情報や関連画像、動画、記事など、眞野あずさの様々情報コンテンツをお届けします。 真野あずさ(62)主演の舞台「ダウト~疑いをめぐる寓話」(29日まで)が23日、東京・下北沢の小劇場B1で幕を開けた。 05年にピュリツァー賞戯曲部門とトニー賞作品賞を受賞し、08年に映画化されたジョン・パトリック・シャンリィの会話劇。�

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